当院のホームページに訪問してくださりありがとうございます。
癒鍼堂治療院は施術も受付けもすべて私一人で行っています。施術者がどんな人間かというのはあなたも気になると思います。
そこでこのページでは、私のプロフィールを紹介いたします。
小さな頃からスポーツが大好きな子供でした
私は幼い頃、やんちゃで先生や親に叱られることも多い子どもでしたが、体を動かすことが大好きでした。3歳のときに父の影響でスキーを始め、小学生では空手に夢中に。中学ではラグビー部に入り、主将も務めるほど熱中しました。ラグビーは心から楽しんでいましたが、小柄な体格の私には限界を感じる場面もありました。そんな中、体重別で戦えるボクシングに出会い、本格的にジムに通い始めたことで、私の人生は大きく動き出しました。
ボクシング漬けの生活
高校時代は、ボクシングの名門・浪速高校に進学。俳優の赤井英和さんや芸人の和泉修さんらを輩出した伝統あるボクシング部に所属し、3年生では副主将も務めました。
毎日の練習に明け暮れる日々の中で、ボクシングは単なる競技ではなく、私の「日常」そのものとなっていきました。
視力が低下していることが分かり回復へ
ボクシングでは、試合前に体重や視力の検査が必須です。あるとき、パンチの影響で視力が低下し、試合出場が危ぶまれるほど追い詰められたことがありました。
そんなとき、友人の紹介で鍼灸院に通うようになったのです。すると施術のたびに体調が整い、不思議なほど規定の視力まで回復。
おかげで3年間すべての試合に出場でき、好成績を残すことができました。
当時感じた鍼灸の印象
たった数本の鍼で体が変わる。
初めて鍼灸を受けたときのその不思議な感覚は、今でも忘れられません。視力や体調がみるみる整っていく体験を通して、
「自分もこんなふうに人を助けられる人になりたい」と強く思うようになりました。
大学からのスポーツ推薦の話も頂いておりましたが、それを断り、鍼灸の道へ進むことを決意。
苦手だった勉強にも必死に取り組み、無事に鍼灸専門学校に合格。そして、当時お世話になっていた鍼灸院の陳先生に弟子入りし、
本格的な修行をスタートさせました。
東洋医学の知識と技術向上のために海外へ
学校では学べない深い知識を、師匠のもとで一から学び直し、伝承医学会にも所属し、
特に「脈診」「舌診」など、四診(ししん)と呼ばれる東洋医学独自の高度な検査技術を
徹底的に修得しました。
中でも脈診は30年、舌診は15年以上の経験が必要とされる難易度の高い技術ですが、これらを学ぶことで、患者さま一人ひとりの体質や不調の根本原因をより正確に見極める力が養われました。
さらに、代々師から弟子へと口伝で受け継がれてきた“特別な鍼術”も学び、東洋医学の真髄に触れることができたことは、今の私の大きな財産です。
【取得資格】
・はり師・きゅう師(国家資格)
・カイロプラクティック
・機能訓練指導員
国家資格取得後も研鑽を重ねるため、師と共に中国をはじめ韓国、アメリカへと海外にも足を運び修行を経験。国際的な視点を持ちながら、患者さまの健康と笑顔のために、今も学びを続けています。
独立開業
2008年、最愛の師匠が他界。
最後にかけていただいた言葉と、もっと教えを受けたかったという悔しさを胸に、私は鍼灸院を開業することを決意しました。
【2008年4月】
「鍼灸治療院 はりの家」を開院。訪問施術を中心にスタートし、介護施設やご自宅への往診を通じて、数多くの症状改善に携わってきました。
その実績が口コミで広がり、やがて内科や胃腸科の先生方からもお声がけをいただくようになり、風邪や腹痛といった一般的な体調不良だけでなく、認知症・脳障害・がん・難病など、医師と連携しながら数多くのケースに取り組んできました。
また、スポーツ選手のコンディショニングやパフォーマンス向上にも力を注ぎ、
格闘技、自転車競技、野球、ソフトボール、ゴルフ、サーフィン、サッカー、バレーボール、テニスなど、幅広い分野で選手たちをサポートしてきました。現在も多くのスポーツ選手がご来院されています。
富田林市喜志町に癒鍼堂治療院 開院
【2017年2月】
富田林市喜志町に移転し、癒鍼堂治療院を開院。
現在は急性の痛みから慢性的な症状まで、多くの方がご来院くださっています。
また、当院ではパーキンソン病をはじめとする難病、そして癌の方の不調の緩和の施術にも力を入れており、医師や薬剤師の方々と連携しながら、改善に向けて真剣に取り組んでいます。(※指定難病一覧は厚生労働省HPをご参照ください)
これからも、一人でも多くの方が本来の健康を取り戻し、笑顔で毎日を過ごしていただけるよう、日々研鑽を続けてまいります。 空き状況/ご予約はコチラ